土日でクラナドの主なエンディングを一通りクリア。
未通過ルートは全く無かったのに内容けっこう忘れてるもんだね。ことみルートなんて分岐条件すら忘れ果ててた。体育小屋とじこめ編まで全キャラ見直してみたり。
このゲームの主題は、人と人のつながり。全てが変わっていく中でも変わらないもの。
正直、今の俺にとってはかなり痛いところを突かれる話だ。今の俺は、ゲーム開始時の朋也と全く一緒だから。人間にとって大事なものを置き捨てたまま歩く身には、どの話も眩しく輝いている。その光を直視して無心でいられるほど達観できる訳じゃない。
自分で選んだ道ではあるが、全ての選択肢をネガティブな方向に選んだ道は大抵の人にとって「末路」と映るだろう。それは自覚してるし、寂しくも感じる。でも、後悔はしていない。
俺は、朋也と同様の後ろめたさを抱えこむのと引き換えに、吉良吉影と同じ心の平穏を得た。
心踊るものを欲してやまず、自分という現実を揺らしたくない。
そんな矛盾と現実の自分の延長の交差点がライトノベルと重なったんじゃないか、と自分では考えてるんだけど……逃避行動を自分に納得させるための理屈としても幼稚な話で褒められたもんじゃないなあ。
 
なんかもう、日記再開したらテキトー書くたび鬱の兆候に見えてくる(´・ω・`)
都知事選に行ってきたり仕事したり、一応は義務も果たしてるよ。